20代半ば向けブログメディア【TOUCH THE HEART】

人生はエンターテイメント❤︎

【自己紹介】峯尾ひろこのSTORYとVISION

 

当ブログを読んでいただきありがとうございます!

20代半ば向けブログメディア「TOUCH THE HEART」運営主の峯尾ひろこです。

 

峯尾ひろこ
(HIROKO MINEO)

 

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このブログの著者ってどんな人!?というのをここでちょっと紹介させていただこうと思います。

もし共通点だったり、「僕(私)も!」という部分なんかがありましたら、SNS上でのコミュニケーション大歓迎です。

 

 

プロフィール概要

 

1992年生まれ、大阪育ちの25歳OL。母は元演歌歌手、弟は吉本の芸人(斜に噛む)というエンタテインメントな家庭に生まれる。
2015年に関西学院大学卒業後、株式会社Plan・Do・Seeに新卒入社。累計約100組の結婚式をプロデュースし、一年半で退職。

その後は株式会社HeulieにてEC運営や広報と法人営業を兼任。

月間4000万PVを記録する人気Webメディア『TABI LABO』掲載、イベントプロデュースなど個人での活動の幅も広げている。


ツイッター・インスタグラム:@hirokomineo_

 

何でブログ始めたの?

 

株式会社Plan・Do・Seeを辞めてから、今のソーシャルメディア時代に個人ブログなどの自分自身の発信源ツールを持っていないのはヤバい!と思って始めました。

 

最初はアメブロからのスタート→ライブドア→はてなブログ(現在)です。

 

DECOLOGなんかが流行っていた時代から、完全な自己満足ブログではありましたが「自分の考えや記録を残す」ということはしてきていたので、楽しく現在もブログが続けられているっていう感じです。

 

私が大切にしている価値観

 

一番大切にしているのは、生き甲斐を感じながら「心を豊かに」日々生きること。

 

私の中での生き甲斐は、仲間やチームで一つの目標に向かって伴走すること。

そして、それが誰かの人生の岐路に影響を与えるような「シゴト」をすること。

人って、生き甲斐を感じるためにシゴトをするんじゃないかな〜って。

少なくとも私はそう思っています。

 

モノの豊かさよりコトであるこころを豊かに、自分の心の声に正直に生きることがモットー。

 

趣味・好きなもの

 

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※高校の時に組んでいたバンドアイコン
 
  • エンターテイメント全般(特に音楽が大好き)
  • SEKAI NO OWARI(一つだけ願いが叶うならメンバーの一員になりたい)
  • ディズニーリゾート・USJなどのレジャーランド
  • オシャレなものやアート
  • インテリア・空間デザイン
  • デザイナーズホテルや自然と調和している旅館
  • CHANEL・CELINE・PRADA
  • 映画(プラダを着た悪魔・マイインターン・ホリデイ・レミゼラブル・タイタニック)
  • ショッピング
  • アウトドア・旅行(特にアメリカの大自然が好き)
  • 温泉・岩盤浴
  • 美味しいものを食べながらお酒と会話を楽しむこと
  • 日曜日の朝ごはん(毎週日曜日の朝に全員でモーニングを食べる家族をつくることが夢)
  • チョコレート

  • 本質的なことが分かる人
  • チャレンジャーな人
  • 山川咲さん・西野亮廣さん・村上萌さん・安藤美冬さん

 

得意なテイスト

 

キャッチー、遊びゴコロ、抜け感、モダン、スタイリッシュ、センスフル、ラスティック、エンターテイメント、上質、ナチュラル、海外トレンド

 

簡単な生い立ち 

幼少期~小学校時代 

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昔から、とにかくおませちゃんで活発でした。

 

父が経営していた海辺のペンションで、3歳の頃からお立ち台と言われるステージに立ち、お母さんの真似をしながら、演歌『河内おとこ節』をビブラードとこぶしを効かせて歌っていました。

(この頃からステージ上に立つことが好きだったみたいです。笑)

 

化粧を始めたのは小学校6年生。

 

小学校では、鼓笛隊に入ってトロンボーンを吹いていました。

あと、ピアノも習っていましたが好きだった先生が引っ越ししてしまうということで、その先生じゃなきゃやだ!という感じでそのままピアノをやらなくなってしまいました。

  

中学校時代

中学は、小学校の友達のお姉ちゃんに憧れて、「同じ制服が着たい!」という理由で塾に行かせてもらって受験をして、女子校である樟蔭中学校へ入学。

 

これがまた、ませている女子が多い中学で先輩もみんな可愛いしそれについて行くのが必死でした。

 

とりあえず「可愛い先輩と後輩同士で手紙交換をし合えている」ということがいわゆるイケていることだったので、私も「自分のキャラじゃないな・・・」とか思いながらも手紙交換をしたりしていました。

 

中学校2年生になると、夜中に家から抜け出して、網タイツに2万円もするサテンワンピースで大阪ミナミのネオン街である宗右衛門町を巡行するというませガキ。笑

 

ちなみに、今でこそ実年齢よりも若く見られてたまに落ち込んだりするのですが、当時は14歳なのに20歳に見られることが多かったです。

 

当時ハマっていた読者モデルは、JJモデルの『JAM』。

JAMの三人のブランドのお洋服をありったけのお年玉で買っていました。

 

あまり学生生活を楽しむというよりは、当時はジャニーズ(関ジャニ∞)にかなりハマっていたので課外活動の方が活発でした。

 

だから卒業も特に寂しい思いはせず、あっけなく卒業。

 

高校時代

とにかくめちゃめちゃ青春しました!!

今でも高校の友人とは多くて月に一回のペースで集まるし、高校時代の友人皆が「もう一度高校に戻ってみたい」と口を揃えて言います。

 

制服が可愛くて女子中だった私は、どうしても共学に行きたいという理由で倍率10倍の人気校の大阪府立夕陽丘高等学校に入学。

 

高校一年生の時から軽音楽部に入部し、バンド名はメンバー皆の頭文字とSMILEを掛け合わせて「Hysmily」という女子4人バントを結成。

私はそこでベースボーカルをしていました。

 

かなりゆる〜く活動していたバンドでしたが、私たちの代で始めてWe are Sneaker Ages(軽音コンテストのようなもの)に出場して入賞することができたり、

ここの部活から、Brian the Sun(Vo.森さんとBa.治輝さんが部活の先輩)が輩出されていたりと意外にもすごかった部活でした。

 

www.brianthesun.com

 

そして高校二年生から生徒会に入り、文化委員長に。

 

この学校を自分たちが創っていっているんだ、と感じることができるような経験をさせていただいて、本当に充実した学生生活でした。

 

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クリスマスには靴箱全体をプレゼントボックスに見立ててサプライズを♡

こういった企画などを全て生徒に任せてくれるような学校でした。

 

文化祭は、もちろん文化委員長としてかなり張り切りました。

 

「何か面白いことを仕掛けたい!!」

ということで、男女マッチングイベントを企画。

 

テーマは、「一期一会」

 

学年もバラバラな男女それぞれがペアになるように一人ひとつ番号が与えられて、同じ番号の異性の人を校内で探し当てるというイベント。

 

グラウンドにはこのイベント用掲示板を設けて、「○番の方!○時に○○で待ってます!」といった書き込みができるように。

 

めでたくペアのお相手を見つけた方は、オリジナルパネルで記念写真が撮影できるというもの!何とまぁ素敵なイベント♡笑

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今でも、伝説イベントとして引き継がれているようでとっても嬉しいです。

 

大学時代

大学は、ただあの時計台がかっこ良くて、「あのヨーロッパ風のキャンパスを歩きたい・・・♡」という理由から第一志望の関学に入学。

 

高校で全クラス300人くらいの内、下から5番目くらいになったことがある私は受験勉強はそれはそれは大変でした。

 

毎日12時間くらい勉強して、周りの皆はSとかA判定が当たり前な子も出てくる中ずっとE判定。

 

それでも諦めずに「絶対に関学に行く!」という思いだけで頑張った。

周りと比べず目標だけを目指して頑張れば必ず道は拓けるという成功体験になりました。

 

 

文学部だった大学生活は、学部外の授業も積極的に受けたりしていてサークルには入ってませんでしたが、留学とアルバイトに熱中していた4年間でした。

 

大学二回生の時に、4ヶ月間カナダのキングストンという田舎町に留学し、これをきっかけに海外が大好きに。

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アルバイトは色々やりました。笑

居酒屋、プールの売店、引越し倉庫整理、ステーキハウス、進学塾のチューター、MISCH MASCHでのアパレル販売員など・・・。

 

進学塾でのチューターの経験や、アパレルの経験から、” 関わった人から「峯尾さんで良かった」って言われることがこんなにも嬉しいんだ ” ということを知りました。

 

漠然と瞬間を創り上げる仕事がしたいとは思っていましたが、上記の経験とバンドで人が集まる場が一つになる瞬間を経験したこともあって、社会人としての一歩は

「人生で一度しかない感動的な瞬間に携わりたい!」

「峯尾さんで良かったって言っていただける仕事がしたい!」とウェディング業界へ。

 

社会人〜現在

新卒で入社した会社は、業界で一番人気の株式会社Plan・Do・Seeに入社し、名古屋で初めての一人暮らしがスタート。 

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初めての社会経験をする中で、人生で初めての大きな挫折を味わいました。

初めて、自分の小ささを実感した経験でした。

 

仕事しかせず、がむしゃらに働く中でずっとずーっと悶々と自分の人生について考え続けました。

 

名古屋という新天地で、初めての一人暮らしで、友達も知り合いすらも居なかったし、仕事しかしてなかったので、自分と対話する時間に本当に恵まれました。

 

「本当になりたい自分ってなんやろう・・・」

「何のために毎日仕事をしているんやろう・・・」

「何のために、自分の人生を生きる・・・?」


他の誰でもない、自分が思う幸せの価値観を考え続けていました。
 

その時に、これまでの私は、

 

なぜそれがしたいのか」「どうしてそう思ったのか」

とかをちゃんと考えずに

 

何か素敵!とか楽しそう!

っていうキラキラしたことにすぐに反応して、大事な決断をしてきたということに気付きました。

(若かったからしょうがなかったのかなぁとも思いますが)

 

自分軸ではなくて、すべて他人軸でした。

そして、その時はその判断が正しいと本気で思っていたのです。

 

ただ、私は就職活動中だった3回生の冬頃に、とある実業家と出会ってから、人生観が大きく変わっていたので、彼に出会っていなかったらきっと自分の人生について本気で考えることはなかったんじゃないかと思います。

 

だから、入社してからも約一年半ずっと本当にずっと人生について考えていました。

 

本当に、本当に辛くて、年に数回ある全国から同期が集まる研修では少し優しくされただけで大号泣していたし、入社して半年くらい経った頃には、ストレスで初めて口唇ヘルペスになり、人目にはとても見せられないくらい酷い症状でマスクをして接客をしたこともあります。

 

実は答えなんてなくて、もうすでに自分の中に在るのに、見つけようとせず探そうとしていて見つからないのが不安で不安で仕方なくて本当に辛い私の中での暗黒期でした。

 

そして、道を切り拓く子という『拓子(ひろこ)』の名前に恥じないためにも、「もっと会社の枠に留まらず、自分にしか歩めない人生にしたい!」と決意し、様々な事が重なって2016年の9月にあんなにも大好きだった会社を退職しました。

 

今思うこと

きっと、これからの時代、「自分探し」や「人生探し」を社会に出た「大人」になってからする人が増えるんじゃないかと思います。

 

これまでの日本は、高度経済成長で 、政府・学校・上司が言うことをそのまま聞いて従ってきた量産型の世の中だったけど今はもう違います。

これからは物欲を満たすことでは得られない、こころを豊かにする時代になっていく。

 

このブログは、そんな自分探しや人生探しに疲れた私が、感じたことや経験したことなどを発信していくオピニオンブログです。

 

同じように悩む20代半ばの誰かの役に立つことを心から願っています。

 

 

峯尾ひろこ

 

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